古本とコンピュータ 3.0

古本屋と情報処理とそれに関連する話題

谷口 文和,増田聡,2004 「録音・複製テクノロジーと音楽聴取体験の多層化 ―― オーディオ趣味と DJ 文化を中心に」,『鳴門教育大学研究紀要(芸術編)』第19巻,pp. 25〜35.(http://homepage3.nifty.com/MASUDA/ronbun/audio.html)

知り合いに教えてもらった論文(私は音楽学は知らない).
●要旨:複製された音楽による美的体験は,もっぱら「生の音楽」と対比されるかたちで「アウラの喪失」とされてきたが,複製技術自体を音楽を生み出すものとして対象化したときに,ライブ演奏とは異なる形でのアウラが発現する.
●感想:書籍は(一般的に)複製技術に基づいているが,とりわけ古書の世界では,書籍にたいするフェティシズムが作動するケースが多く(書痴!),筆者の述べるような(ベンヤミンの指摘とは異なる)「アウラ」も発現するケースが多いように思われる.もっとも,音楽の聴取とは異なるのは,そもそも古書との出会いは一回性を含んでいる場合が多い(とりわけ稀覯本の場合)ということである.この場合,ベンヤミンアウラに近いといえそうである(「アウラI」としよう).
筆者が指摘するような,いわば編集作業に基づく「アウラ」も想定出来る.書棚や古書の目録を作って書籍の配列に気を配る,といったケースである(「アウラII」).また,(もしかしたら書誌学者はそうなのかもしれないが),その本が作られた「特権的」瞬間(筆者のいう「原音」)を想像してそこに思いを馳せて(イデア?),元々あったはずのアウラを想定するという形もありそうだ(アウラIII).
古本の世界と複製音楽の世界との違いとしては,筆者が指摘するようなオーディオの「原音再生派」や「マニア批判派」は,イデアを想定して決してそこにたどり着くことは出来ない(ベンヤミンアウラは獲得できない)のにたいして,古書の世界における「アウラIII」の追求では,イデアを追い求めるという意味においてはアウラを獲得できないが,古書という一回性をもつモノを既に手にしているという点では,予め「アウラI」を獲得している.
すなわち,古書の世界においては,古書というモノがもつアウラアウラI)と,古書というモノの背景から出て来る(出てこないが追い求める)アウラアウラII,アウラIII)がありそうである.
さて,筆者は,クラブカルチャーという世界における音楽を扱っているのであるが,バロックを中心とした古楽器の世界では,音楽学による過去の再構築とその実践によってイデアに近づこうとする努力と,それを脱構築していこうとする動きとが両方見られるようだ(レコードによる複製技術というよりは実際の演奏活動における動きである).古楽の場合,(博物館に保管されている)楽器という身体に直接関わるものだけではなく,楽譜というエクリチュール(の解読)が実践に重要な役割を担う.書かれたものの介在が大きいという点において,古書の世界におけるアウラのあり方を考察する手がかりになりそうだなあ,などと考えてしまった.